リーダー養成合宿 2018

8月11日 富山駅ビバーク

9時に新宿バスタ前集合!一週間以上も山にこもるなんて未知すぎて、現地に着く前から少し緊張気味…。でも皆の顔見ると緊張も和らいで後輩がくれたカステラや冷凍フルーツをおいしくむさぼってました。三年生からはアイマスクをいただき、ビバークでありがたく使わせていただきました。四年生の先輩方の差し入れには煮干しだったり煮卵だったりなかなか濃い差し入れが混じってました。お見送りに来てくださった皆さんありがとうございました!名残惜しむように皆に敬礼して電車に乗る私達。電車では皆談笑する中一人顔色の悪い部員が……彼女は「今までの人生で1番具合悪い…吐きそう…」そう呟きトイレへ駆け込んでいきました。いつも元気な彼女が富山駅までずっとこの調子だったのでとても心配でした。富山駅に着いて荷物を置いてくつろいでいると松本駅などと違って駅ビバは珍しいのでしょうか…通りすがりの人からの視線がやたら突き刺さるように感じました。そんなの慣れっこだなんて思って堂々としてると、警察がやってきました。どうやら通報されてしまったようで私達は移動を強いられました。公園でビバークすることになりましたが草がふさふさしてて布団で寝てるようでコンクリートの上よりも気持ちよかったです。ただ虫にたくさん刺されました。今まで当たり前に駅ビバしてましたが、この件を経てネットで調べたら駅で寝るのって刑法違反スレスレみたい!あとマナーがありまして、その1つに終電まで寝ないことが入ってました。私はこのマナーを破ってしまっていたので今後は気をつけていきたいです。ちなみに電車内で体調不良を訴えていた彼女は病院に行って薬もらって、万全では無いものの、行くことになりました!が、保険証の期限が切れてて慰謝料全額負担していました。皆さんもお気をつけて…!
入山を目前に不安だらけの1日目。リー養どうなる…!?

8月12日 立山室堂

さて、ビバークを終えればいよいよ入山!バスとロープウェイで一気に2450mまで上がり、立山室堂に到着です!室堂付近は地面が舗装されていて登山、というよりは観光という言葉が似合いますが……とってもステキな道~!!360°ハイジを連想させるような美しい景色北アルプスの麓を歩いてる感じがとても溜まらなかったです。そう喜んでるのも束の間舗装されていない道に入ると急登が現れます。いや、普段ならこんな急登は日常茶飯事。ちょちょいと登れるのでしょうが何せ人によっては30キロ近くある重い荷物が邪魔をしてなかなかしんどい…。でもステキな道と通りすがりのおじさんおばさんに「すごい荷物だね~元気元気~」って関心されるのが嬉しくて頑張れました!1日目の実働は計画書通りならば四時間弱と短め……なのですがある隊は5時間半歩きました。ルートミスしたのです。剱山荘と剱沢を勘違いしていたのが原因です、かたじけない…。通る予定の無かった雪渓をアイゼン無しでトラバースしてしまい、途中濃霧にのまれ、なかなか怖かったです。入山1日目にして反省の尽きない山行となってしまいました。

8月13日 剱沢キャンプ場停滞

「雨が降ったら剱岳は登らない。」
本当は今日剱岳に登る予定でしたが生憎の雨。剱岳は滑落が恐ろしく直前まで口ではイヤイヤ言っていましたがここまで来たら絶対登りたい山ナンバーワンです。私達は明日が晴れることを祈って剱沢キャンプ場で1日停滞することに。にしても雨のなかテントにこもるのはとてもヒマでしたね。動いて無くても腹は減るもんでまだ3日目なのにずっと行動食むさぼりながら、リフィル麺食べながら、トランプで暇を潰してました。明日晴れて欲しいけど、雨のあとで岩が濡れて滑りやすくなっているかもしれない。滑落する自分を想像し恐怖しながら眠りにつきました。後日談になりますが、下山後にネットニュースでこの雨の中早月尾根を登り滑落してしまった方が居たというのを聞いてルートは違えど恐ろしくなりました。

8月14日 剱岳

さて!いよいよ本日はお目当ての剱岳です。
天候はくもりで少し残念でしたが雨が降って剱岳登れず、立山登るよりはずっといい。朝は雪渓のトラバースから始まったのですが、暗くてトレースがよく分からない…。普段雪山なんて縁が無いものですからトラバースの仕方もド初心者…。内心あたふたしながら慎重に歩みを進めたのですが途中で騒がしくなり、後ろを振り向くと、雪渓を踏み抜いてしまった部員が居ました。不幸中の幸いか、怪我人はありませんでしたが、この後も印が見えなくて道を外してしまったり…。剣山荘のところで三年生からご指摘を受けました。山歩きの知識不足だとか、暗い道で視野が狭くなるところではもっと慎重に歩くなんて、当たり前のことができてなかったこと。冷静にならないといけない場面で騒いでしまうこと。自分の未熟さを思い知りました。二年生にもなって、もうすぐ部を引っ張る身になるというのに、全然ダメだなぁと自己嫌悪。当時私が先頭だったので余計に自分のポンコツさがすごく悔しくてしばらく撃沈しながら登ってましたがこの悔しさを忘れずバネにして成長していきたい、成長します!!と胸に誓いました。反省するだけで終わりにしないで行動に移せるように頑張ります!雑費が余ったので全員分のヘルメットを剣山荘で借りて装着し剱岳へいざ出陣です!ここからは危険なので三年生に挟まれて登ります。普段の山と比べると足場は小さく、鎖もいくつかあって、落石箇所も多く、油断は禁物ですが、前剱までは多少びびりながらも槍ヶ岳よりは怖くないかもなんて思いながらひょひょいと登って来れました。問題は前剱の後からでしょうか。鎖場と足場の心許なさがランクアップしてきます。ガスってて下は見えないおかげか(あれ?思ったより怖くないかも!)と感じる場面もありました。しかし足場ほぼ無しのところで鎖無かったり、岩が若干湿っていて盛大に足を滑らせたりする内に次第に恐怖心が募ります。
恐怖を口に出してないと足がすくんでしまう気がして、気づいたら途中から小声で「死ぬ…死ぬ…滑落する…」って呟きながら登ってました。自分がこんなに高いとこ苦手だったなんて知らなくて少しショックでした。恐怖と戦いながらしばらく歩いて行くと事故の多発で有名なカニのタテバイが見えてきました。怖くて足がすくんでしまう登山者も多く、大行列。だったのですが、人の多さと、恐怖でおびえる登山客を目にするとなんだかさっきまでの恐怖心全部どっかに飛んでいきました。自分より怖がってる人を見ると逆に冷静になる人間の心理です。とは言えどもいざタテバイに足を踏み込むと混んでいるせいで中途半端な位置で待ち伏せをくらったり、足場なんてほぼなくて全身の体重を鎖1つに任せて登っていくのは、なかなか心臓に負担がでかくて、タテバイが終わった後はげっそりしてました。タテバイの後は少し鎖を登ってついに、山頂へ到着!更に運良くそれまでガスっていた空が山頂に着くと嘘のように晴れ、今まで見えなかった絶景を目の前にして感動!感動!感動!!!感動の嵐でした!!!!!私史上ここまで気持ちのよい登頂はありません。ウキウキが止まらず、狭い山頂にいつもより長く入り浸ってしまいました。登頂を喜んでましたがここで安心してはいけません。まだまだ事故の多発で有名なカニのヨコバイが残っています。ちゃんと矢印があって、足の長い男子達は余裕そうに降りていきます。対する私は足の短さに、足場が見えない恐怖心で足をあまり下に降ろせないのが相まって足を引っ掛けるポイントが見つからない…。
前に居た部員のフォローのおかげでなんとか速やかに足を着地させましたが、一人だったら多分足場が信用できなくて数分うじうじしていたことでしょう…。ただこのヨコバイを終えてしまえば後は1度通ったルートで行きと比べたら怖い思いはせずあっという間に下りきりました。(この辺りは峠を越えたせいか、記憶に薄い)その場に居ると怖くて足はすくむのですが、思い返すとSNSや動画で脅してくる程は怖くは無いかな、という印象でした。なんなら相模湖にある某アトラクションの方が怖い。ただ一人だったら絶対に登頂できなかったと思うのも事実。同期や先輩に感謝です。山に対する気持ちも強くなりました。かっこよくてステキだけどちょっぴり危険な剱岳。ステキな思い出ですが出来れば当分は登りたくないですね。下山の後。3日目にして皆さん思うところが出てきたようです。現主将の仲介もあって第一次ミーティングが始まります。主に男女間の体力差と考え方の違いと団体行動の意識について。思いの丈をぶつけた人も居ますが、私の学年はやたら人数が多いせいか、ぶつけられていなそうな人も居ました。言ったって無駄だと諦めているような人も居るようでした。
私の学年は不仲という訳ではないのだけど、皆が皆仲良い訳でもない。だからお互いをよく知らなかった。そこからいつか生まれてた男女の壁やそれぞれの不満。部活って大変だ。人数が多いと更に実感する。皆考え方が違ってバラバラだ。でも、皆がバラバラな方向を向いて不満を内に秘めたまま突き進んでしまうのはダメな気がする。そこに今日の反省も加わってぐるぐる考えながら眠りにつきました。濃い1日でした。

8月15日 立山

この日いよいよ私達は3日間泊まった劔沢キャンプ場を名残惜しくも後にし、立山へと動き出しました。実働時間は8時間越え、テント場に着く時間を考慮しヒフミで出発。暗い中歩き始め、ふと横を見下ろすとそこには光り輝く富山の夜景が、、!町に帰りたい衝動を抑えてなんとかみんな山道を歩きました。輝く富山の町と薄暗い山、その山から見える星空や流れ星、とすべてが自分の目から見え、なんだか世界を征服したようなそんな気分になりながら長い道のりを歩き出しました。立山〜獅子岳〜ザラ峠と長い長い道のりを登っては下り、テン場までもう少し。徐々にみんな顔に疲労の色が見え始め、それと同時に雲行きも怪しくなっていきました。行動食が尽きてしまった部員や、トイレに行きたくてしょうがない部員もいて、みんなそれぞれが一刻も早くテン場を目指しました。テン場まであと一歩、というところでついに強い雨風が私達に吹き付け、テン場に着いた頃にはみんな疲労困憊。夕飯のパスタを素早く食べ皆、就寝しました。


8月16日 五色ヶ原キャンプ場停滞

台風(?)の影響でこの日は五色ヶ原に停滞することになりました。昨日の雨でみんな精神的にも参っていたのでなんとかこの日を使って体力と精神力の回復を目指します。お昼にはみんなで1つのテントに集まりそれぞれ思っていることについて話し合い、有意義な時間を過ごせました。話し合いを終え、ちょっと山荘まで行ってみるか〜と雨風が強まる中、女子で歩き出しました。思えばこのときもう少しテント内の荷物の整理をしていたら、、。山荘から帰ってきても雨と風はさらに強くなる一方でした。早くテントに入って温まりたい、そんな気持ちで少々焦り気味に女子テントを開けたその時、目の前に広がっていたのは、湖でした。あれ?なぜこんなところに湖が?女子テントの場所はここであってるはず、自分の目を疑いましたが何度確認してもここは私達女子テントなのです。「浸水」はザックも服もマットもシュラフも食糧もカメラも私達のすべてを飲み込んだのです。「ヒェヤーーーー!!!!!!!!!」皆の精神が崩壊した瞬間でした。泣き叫びながら荷物を移動させるその図はまさに地獄絵図でした。浸水は女子テントだけでなくどのテントでも苦しめられました。男子のテントは日本海だったそうです。すべての持ち物が泥水にまみれ、その夜は皆浸水地獄と寒さとの闘いでした。凍えながらなんとか一晩を乗り越えました。

8月17日 スゴ乗越

昨日の疲れを引きずりながらも私達はスゴ乗越小屋へと出発しました。天気は昨日のが嘘のようによく晴れ、日差しが眩しかったです。人間は太陽がないと生きていけないなと実感しました。行程はアップダウンが激しく、山だな〜と感じました。ゴツゴツした岩や樹林帯を着々と歩き進め、お昼頃にはテン場に着き、みんな昨日濡れてしまったシュラフなどを干し、夜に備えます。スゴ乗越小屋は日本っぽくなく独特な雰囲気でとても魅力的な小屋でした。カスタネットのような民族楽器の演奏が小屋付近から聞こえてきて心地よかったです。夕飯のパスタをみんな食べ終え明日に備えて解散、、とそのとき、なんと先輩からりんごのサプライズが!感動し大喜びでみんなりんごをガリガリかじりました。疲れた身体に新鮮なりんごが沁み渡りました。りんごを身体に染み渡らせながら就寝しました。

8月18日 スゴ乗越小屋〜薬師峠キャンプ場

この日は2時に起きて4時にキャンプ場を出発するいわゆるニサシでした。男女別々の隊に分かれ、まずは北薬師岳・薬師岳を目指します。キャンプ場からほど近い間山に着いた時に、これから進む道の先に大きな岩っぽい山が二つ見えました。手前が北薬師岳で奥が薬師岳だろう、意外と近いね、今日は楽に終わりそう。なんて話していたのですが、いざ登ってみると全然違う山。またその奥に大きな岩っぽい山が見えてきました。そんな絶望を何度か繰り返しているうちに、なんとか北薬師岳に到着。そこから小一時間ほどで薬師岳につくことができました。ここで大きな決断をしなければなりませんでした。当時の天気予報では、最終日前日の予報がとても悪かったのです。その日は日本三大急坂を下る予定なので、それは危険すぎる。ルートを変更するのか?という問題でした。変更すると決まった場合、この先電波の入らない場所が続くので、帰りのタクシーなどの連絡を今のうちにしなければならないのです。2年生全員で話し合った結果、安全策を取るためにルートを変更することに決まりました。もともと決まっていた高瀬ダムに降りるルートをやめ、新穂高に降りることに決めました。

8月19日 薬師峠キャンプ場〜雲の平キャンプ場

この日は天気も良く木道も多く、歩きやすかったです。特に有名な山などにいくわけではないただの移動日でしたが、きれいな川やスリル満点の吊り橋などもありすごく充実したルートでした。
 ただ、それらの充実した工程の中に一つだけとてもきつい部分がありました。それは薬師沢小屋を通過した後の急登です。800メートルの急登を登らなければなりませんでした。少しずつ休憩を挟みながら登ろうと話していたのですが、15分も登ればもうヘトヘトになってしまうような急な上り坂でした。
 今まで経験した中で、角度長さ共に1番の急登でした。もう2度と登りたくないと思いました。ただ、その急登を除けば他は景色も道も最高でした。

8月20日 雲の平キャンプ場〜双六小屋

この日からついにもともとの計画書とは違う道を進むことになりました。
本来この日は三俣山荘に行き、ピストンで鷲羽岳に登る予定でした。
しかし翌日に新穂高に降りることに変更したため、鷲羽岳に登るのはやめ、三俣山荘を通過し双六小屋まで行くという行程に変更しました。この日も特にどこかの山に登るわけではない移動日でした。しかし、リーダー養成合宿前に行った夏合宿で、双六小屋には一度泊まっていて、その環境の良さ(水洗トイレ&美味しい水無料)を知っていたのでとても楽しみな日でもありました。また、昨年の夏合宿で黒部五郎に行った人たちは、その際に現社会人一年生の先輩たちが記入したノートが三俣山荘にあるということで、それを見るのも楽しみだったようです。そんなこともあり全体的にモチベーションの高い1日でした。(翌日下山だから、というのも大きな理由かもしれません。)

 

8月21日 最終日

 ついに最終日です。長かったリーダー養成合宿もこの日が最終日です。
この日は双六小屋から新穂高まで下山するという行程でした。
これからリーダーとして活動する2年生の全員が、それぞれ11日間のことを振り返りながら下山していたと思います。11日間の中で様々なことがありました。
やはり一番大きかったできごとは5日目の女子テントの浸水です。
あの日は、天気が悪かったこと、台風が近づいている可能性が高かったこと、体調の悪いメンバーがいたこと、みんなのモチベーションが下がっていたこと、前日の少しの雨でみんなイライラしていたこと、その日さえ越えればあとは予報がほぼすべて晴れだったことなどすごく多くの理由があり、メンバー全員で話し合い、停滞を選びました。停滞を決めた当時、天候やメンバーの体調など含め本来であれば停滞はしない状況であることを三年生の主将から説明していただきました。しかし僕は、軟弱だと先輩方から思われるかもしれないけど、停滞するのが正しい判断だと思いました。
僕が停滞すべきだと思った一番大きい理由は、何よりもみんなの精神状態でした。前日、テント場に着く一時間ほど前から雨が降り始めました。僕らの代は雨山行をほぼ経験していないので、雨にすごく弱いです。精神的に弱いのです。前日の一時間の雨だけでメンバーの全体的な雰囲気がすごく悪かったのです。イライラして人に当たったメンバーも正直いました。そういった事情を考えると、この雨の中進むことは危険だと思いました。もちろん一泊の合宿だったりしたら無理矢理でも進んでいたと思います。しかし今回の合宿が少なくとも5泊は残っていることを考えると、ここでメンバー同士喧嘩をしたり、仲が悪くなってしまうと残り5泊持たないと思いました。
行程通りにきちんと進むことも大切ですが、ここまで長い合宿の場合、人間関係なども考えて残りの日数を乗り切ることも、合宿を成功させるうえで大事な要素だと当時考えました。この日さえテント内で雨に濡れずに耐えれば、残りの日程は雨に降られずにすむ予報だったことも理由の一つです。
こうして決めた停滞の結果、テントが浸水してしまいました。大切なカメラが水没して壊れてしまったメンバーもいました。もしあのとき停滞を選ばなければ、少なくともテントが浸水することはなかったので、もしかしたら停滞せずに進んでしまうのが正解だったのかもしれません。
山では正解のない二択を選ばなければいけないことが多すぎて、考えるのが大変です。しかし今回のリーダー養成合宿ではそんな経験を何度もすることができました。今回考えたことは、リーダーとして活動をする上で必ず生かされることだと思います。11日間という長い合宿でしたが、無事下山することができて本当によかったです。みなさんお疲れ様でした。