1日目 8/12 成城大学~便ヶ島キャンプ場

芝沢ゲートにて
芝沢ゲートにて

1日目、ついにこの時がやってきました。大学を出発し、バスで芝沢ゲートまで行きました。バスを降りてから便ヶ島まで移動し、幕営して夕食を食べて寝ました。(伊藤)

2日目 8/13 便ヶ島~易老渡~光岳小屋

2日目は3時30分に出発し易老渡から入山しました。登山口から易老岳までの道は全体的に斜度が高く、自然と休憩の回数が多くなります。ところどころにある看板もなかなか現れず、精神的にも追い込まれていきました。急登をなんとか登り切り、易老岳に到着するも、まだ行程は半分。しかし時間はすでに昼を回っており、計画書のコースタイムを大幅に過ぎていました。その後、光岳へは急登はないものの細かなアップダウンが続き、体力をそがれた状態ではなかなかペースがあがりませんでした。さらには雨が降ってきたり、大きなガレ場が立ちはだかったりと悪路に皆の体力は限界を迎えていました。いつしか会話も消え日も落ち始めたころ、ようやくテン場手前にある水場が見えました。なんとか日暮れまでには到着したものの、みな疲れ果てていたので夕食後はすぐに寝てしまいました。(伊藤)

3日目 8/14 光岳小屋~光岳~茶臼小屋

茶臼小屋の方がくださったスイカ
茶臼小屋の方がくださったスイカ

3日目、リーダーを担当するのはナカタであり、緊張していた。10日分の荷を詰め込んだザックは普通ではなく、容赦がない。すでに3日目のつま先を破壊していた。テント場まで行けばスイカがあるはず…そんな淡い期待を胸に、つま先を前に進め続ける。しかしリーダー養成合宿は甘くはなかった。展望の無い樹林帯続きの為、つま先以上に精神の限界が迫っていたのである。もうダメかと思われた時、立っていた場所はテント場だった。「いただきます!」同期がそう叫ぶと山荘の主人がスイカと一緒に現れた。沁みる。

南アルプスはアップダウンが激しいと言われるが、それは山道のことだけではない。メンタル部分のアップダウンこそ、南のニクいところである。最後はテントを燃やしかけて、就寝。(仲田)

光岳小屋にて朝日を待ち望む
光岳小屋にて朝日を待ち望む

4日目 8/15 茶臼小屋~聖平小屋

4日目の早朝、前日に色々お世話になった茶臼小屋を出発しました。空は曇っており、今にも雨が降りだしそうな嫌な天気でした。途中の奇岩竹内門では、大きな岩をよじ登る部員もいて、ワンゲルらしさを遺憾なく発揮していました。この辺りから天気が本格的に悪くなり、雨が降ってきましたが、「すぐ止むだろう」とでも思ったのか、レインウェアを上だけしか着ないという愚行を冒してしまいました。この愚行の故、ズボンはもちろん、登山靴や靴下までもが濡れてしまう事態に…。「あの時、ちゃんと下も履いていれば…。」と後悔する部員も多かったです。そうこうしている内に、今日のテント場である聖平小屋に到着しました。今にも風邪を引きそうな僕たちでしたが、聖平小屋の方たちのご厚意で、特別に小屋の中に入れていただきました。また、カップラーメンもいただき、雨で冷えた体を温めることができました。前日の茶臼小屋に引き続き、この日も小屋の方には感謝の気持ちでいっぱいでした。ありがとうございました。しかし、雨は止むことはなく、雨が降りながらのテント設営を終えた後、ご飯を食べ、翌日の天気が良くなることを祈りながら、4日目を終えました。(新村)

5日目 8/16 聖平小屋~聖岳~百閒洞の家

聖岳山頂
聖岳山頂

この日は行程が長いため、なるべく早くテン場に着くように1時起床、3時に出発。しかし雨に降られて寒さにやられた昨日に引き続き天気は曇天。まずは百名山であり今回のメインである聖岳を目指しました。日が昇っても一面ガスで景色は見えず、気温も低い中の登山。急坂はみんなで励ましながら何とか聖岳に着く頃には空模様も怪しく、風も強くなってしまった為手短に写真を撮り兎岳へ早めに目指すことにしました。

テントの裏側を干す部員
テントの裏側を干す部員

テントを張る予定の百間洞間は張数が少ないためここで先発隊2名を出しテン場の確保を優先することに。私は後発隊として聖岳を後にしました。聖岳を下るとすぐに大粒の雨が降り始め、兎岳の避難小屋に着く前には既に全身ビチョビチョ、体は凍えてしまうため休憩は最低限。避難小屋ではみんなで集まって何とか暖をとり態勢を立て直してからテン場を目指しました。テン場直前に待ち構えていた中森丸山の急登がとても辛く、フラフラになりながら登ったのがこの日の一番の印象です。百間洞山に着いた時にはとても寒く、中には気絶するメンバーもいましたが、先発隊の建ててくれていたテントでみんなが一つのテントに固まり互いを温め合いました。暫くすると雨は止み、日の光がさすように。ほんの1時間くらいの晴れ間でしたが、全員連日の雨で濡れてしまった装備やテントを全力で乾かす姿は今までに見たこともないような不思議な光景でした。日没が近くなるとペンネを作り夕食に、そして明日も早いことに加えみんな疲れ切っていたために早めに就寝しました。(野村)

6日目 8/17 百閒洞の家~赤石岳~荒川小屋

赤石岳山頂
赤石岳山頂

8月17日木曜日、リー養6日目。4時に出発し、百閒洞山の家から赤石岳を通り、荒川小屋に向かいます。百閒平から赤石岳にかけて、地図には「聖岳・荒川岳のビューポイント」、「気持ちの良い岩尾根歩き」と描いてありましたが、何のことでしょうか、、、。この日も朝からガスっていて、どこをみても白い景色ばかり。3000メートルを超える赤石岳に到着しても景色は何も見えません。山頂で写真をすばやく撮り、いそいそと先に進みます。

晴れ間を逃さないように装備を干しながら歩く
晴れ間を逃さないように装備を干しながら歩く

小赤石岳に近づいてきた頃、ようやく晴れ間が!!山頂で休憩をとることにし、久しぶりに見えた周りの山々、先ほど登ってきた赤石岳を眺めていたのですが、ふと気づくと、昨日の日差しでは乾かしきれなかった荷物を乾かすために、ザックを広げだす人が続出。なのでゆっくり休憩の時間をとり、最後荒川小屋へ。小屋で出会った方々はみんな、易老渡から入り11泊するという私たちにとても驚いていました。この日は夜まで晴れており、夕方には綺麗な富士山を見ることが出来ました!明日の悪沢岳を楽しみに眠りに就きます。(清水)

7日目 8/18 荒川小屋~荒川三山~高山裏避難小屋

悪沢岳山頂にて2年生と3年生
悪沢岳山頂にて2年生と3年生

 7日目は長かったリーダー養成合宿の中でもかなり印象深い日となっています。というのも、それまでは曇天、ないしは雨が続いて主峰からまったく景色が見えなかったのですが、この日はついにそんな日々に別れを告げることができたからです。朝、荒川小屋を出発し、まずは荒川三山の1つである中岳を目指します。道中、念願の日の出を見ることもできて、その嬉しさといったら言葉では形容しがたいほどでした。みんなの表情も明るく、休憩もそこそこにどんどん登っていきます。そして中岳に到着すると、少し陰っていた雲が一気になくなり、あたたかくて明るい太陽の光が差し込みました。朝日はこんなにも輝いているものなのかと、感動が止まりませんでした。

 避難小屋にザックを置かせてもらい、いざ悪沢岳を目指します。背中が軽いだけでこんなにも違うものなのかと驚きました。コースタイムを巻きに巻いて、あっというまに山頂に到着です。集合写真も撮り、名残惜しく思いながらも、悪沢岳に別れを告げました。ザックを背負い、前岳を目指していると、だんだんと雲行きが怪しくなってきました。無事に荒川三山を登頂した喜びもひとしおに、急いで高山裏避難小屋を目指します。樹林帯に入ろうとした途端、やはりというべきか、雨が降ってきました。これまでの反省を活かし、振り出した途端に全員がレインウェアの上下を身につけます。幸いにも樹林帯に入ったので、風に吹きさらされる心配はありませんでしたが、それでも震えながら歩いたことに変わりはありません。高山裏避難小屋に着くと、小屋のおじさんがじゃがいもと玉ねぎをわけてくださいました。美味しく調理させていただき、久々の新鮮な野菜に、感謝を強く感じずにはいられませんでした。(神田)

8日目 8/19 高山裏避難小屋~三伏峠

この日は234で高山裏避難小屋から三伏峠を目指しました。3日目以降毎日のように降っていた雨もやっと上り久々に星を見ることができました。しかし、この日の最高峰である小河内岳に登るにつれガスが濃くなり山頂は安定のガスでした。リー養8日目になるとかなり荷物も軽くなり2日目は2時間くらい押していたコースタイムも3分の2くらいまで巻けるようになりました。

三伏峠にて
三伏峠にて

そのためあまりにテン場に早くついてしまうため、途中の烏帽子岳の山頂でかなり長めの休憩をとりました。休憩中残りの食料を計算する者、課題図書をネットで注文する者、空腹で黙り混む者など様々いました。その後無事三伏峠に到着11時前についたこともあり食料に余裕のあるものはお昼ご飯を食べ、濡れたものを乾かしたりしました。小屋のファンキーなお兄さんに小馬鹿にされたり、くさすぎるトイレの匂いが染み付いたりした者もいましたが、最後のペンネに感激しつつ就寝しました。(石川)

9日目 8/20 三伏峠~塩見小屋

ご厚意でくださったゼリー
ご厚意でくださったゼリー

ついに!待ちに待った小屋泊の日です。わくわくする気持ちと同時に、この日は行程も短く、体力回復に努めるべき日でもありました。テン場を出発し、例によってガスの中をもくもくと歩きます。小屋が見えてくる気配はまったくなく、「今日は楽だ」を思い込んでいた私たちをひしひしと暗い空気にさせます。そうはいっても、雨が降っていないということはとてもありがたいことで、歩くペースを落とすことなく着実に前に進んでいきました。

そして、樹林帯が途切れたと思ったら、そのときはすでに小屋の前でした。突如現れた小屋に喜びは溢れ、みんなで歓声をあげたことを覚えています。小屋の方がわざわざ離れを貸し切りにしてくださり、テントを立てる必要もなく、思い思いの時間を過ごしました。トランプがあってよかったです。夕飯の小屋を食べ、外に出てみると、明日登る予定の塩見岳が高く、高くそびえていました。南アルプスのイケメンといわれる塩見岳はその呼び名の通り、圧倒的な存在感を放っていました。

そうこうしているとなんと!!小屋の方が、夕飯の余りを食べないかと声をかけてくださいました。慢性的な腹ペコ状態にあった私たちは1にも2にもなく、ありがたく頂戴することにしました。ベイクドポテトとスープは、レトルトやフリーズドライしか口にしていなかった私たちをいろんな意味で芯から温めてくれ、あの瞬間の感動を忘れられない部員も多いのではと思います。しかも、デザートとして、ゼリーまでくださいました。嬉しくて嬉しくて、泣きそうだったことを覚えています。塩見小屋の方たちには感謝が尽きません。本当に、ありがとうございました。(神田)

10日目 8/21 塩見小屋~塩見岳~熊の平

塩見岳山頂
塩見岳山頂

この日は234で塩見小屋から熊野平小屋を目指しました。前日小屋から見えた天狗岩や綺麗な山容に登れるとのことでワクワクしていました。山頂前では岩場の急登でしたが、全身を使って登る感じがとても楽しくコースタイムをかなり巻いてすぐに山頂に着きました。山頂からは富士山が綺麗に見ることができ、さすが南アルプスのイケメンと言われるだけのことはあると思いました。

晴れにテンションがあがる部員たち
晴れにテンションがあがる部員たち

南アルプス南部の稜線はあまりなく山頂につき一旦森林限界まで下りまた森林限界を超え山頂に行くと言ったところが多く、北アルプスのような稜線歩きがなかなかできませんでしたが、塩見岳から熊野平小屋の稜線は久々の北アルプスのような稜線でした。熊野平小屋は立体的なテン場で水場も綺麗でとてもいいテン場でした。この日のテント班は食料がある組とない組(餓死テント)でした。自分は食料のある方のテントでしたが、ない方のテントはいきなり歌い出したと思ったらいきなり静かになったりと激しいテント班でしたが時々聞こえてくる会話は面白かったです。まさかこの日が最後のテント泊になるとは想像もせず日本2、3位の北岳、間ノ岳を楽しみに就寝しました。(石川)

11日目 8/22 熊の平~間ノ岳~北岳~広河原~甲府駅

暴風の間ノ岳山頂
暴風の間ノ岳山頂

ほぼ毎日お馴染みの2時起床、四時出発で朝を迎えたこの日は北岳、間ノ岳といった今回のメインが二つもあり、さらにこの日を乗り越えたら残すは下山のみ!という事で皆モチベーションが高く、登るペースも順調で三峰岳に着く頃には恐ろしいほどコースタイムを巻いていました。しかし目の前に見える間ノ岳は次第にガスっていき、このままだと景色が見れないのではという一抹の不安が…。その予感は見事にあたり、間ノ岳へ昇って行くごとにガスと風が強くなって行き、間ノ岳山頂に着く頃には寒すぎて止まっていられないほどに。

最後の主峰 北岳
最後の主峰 北岳

ガス、強風による視界不良により何度もコースを見失ないながらも何とか北岳山荘へ。北岳山荘では強風が治らないこと、他の登山者のツェルトが飛ばされていたこともあり本日テン泊予定地であった北岳肩の小屋に留まることを断念、その日のうちに広河原へ降りることにしました。そのため北岳はピストンに、ピストンでも天候不良の中登る北岳は辛く、判断としては間違ってなかったと痛感しました。北岳をピストン後、八本歯のコルを経由して沢沿いに降り広河原を目指しました。

一歩一歩目的地に近づく毎にこの長かった合宿が終わっていく、早く終わりたいという気持ちと少しの寂しさの交錯、また今まで一緒に登って来た仲間への感謝の念、多くの思いが錯綜しながら下った山道は忘れられない思い出です。広河原山荘では三年生の先輩が待っていてくれて、その時シンプルにお疲れ様と声をかけてもらえたことが何よりも嬉しかったし、1番達成感を感じることができました。無事完走することができましたが、ここまで支えてくれた同期、先輩には感謝してもしきれないです。

広河原からはバスで甲府に向かい、毎年恒例?らしい焼肉をモリモリ食べ、そのまま駅ビバをして翌日帰宅しました。(野村)

完走後の広河原
完走後の広河原
間ノ岳の道中で見えた富士山
間ノ岳の道中で見えた富士山