こんにちは。令和4年度主将の山本颯太です。今回のリーダー養成合宿の計画者を担当しました。この場をお借りしまして、リーダー養成合宿の報告と併せて、今年度のワンゲルの活動を私の目線から振り返っていきたいと思います。
今年度はほぼ全ての山行を実施することができました。しかし、コロナが始まった2020年度は日帰り山行を秋に2回、2021年度も日帰り山行を2回行えただけで、泊まり山行は2年間で一度も行えないという状況でした。泊まり山行を一度も行えずに運営代を引き継いだのが我々の代でした。2年間山行と部活を行えなかったということは、山や部活動を経験した学年がいなくなってしまったということで、ワンゲルの歴史はリセットされてしまったと言えるでしょう。去年の11月に前幹部から仕事の引継ぎをしたとき、来年度からはおそらく合宿を行えるだろう、という期待と楽しみにする気持ちもありましたが、それ以上に私以外全員が初心者という集団を連れて、本当に無事に合宿を行えるのか?という不安の方が大きかったのを覚えています。
2月に今年度の山域設定を行いました。まずは最終目標を「夏合宿で槍ヶ岳に登る」に設定し、そこから逆算して徐々にレベルを上げていくように山域を組み、最低でどれほどの山行の回数が必要なのかを考えてゆきました。今年度は例年より1~2回山行の回数が多くなっています。やはり0からのスタートになるため、例年よりも経験の量が必要になります。今年度は新たに4月山行(日帰り)、6月山行②、8月山行を新設しました。また、5月に3年生4年生限定参加の強化山行+αを新設し、6月山行①で全体として初めての泊まり山行を行う前に、3年が部を引っ張る代として前もって泊まり山行を経験し、4年の先輩から立ち回り等を教わり、改善点を洗いざらい言い合って全体山行までに準備する、という目的の山行も実施しました。この山行は結果的に本当に有意義な山行になりました。経験を積めた、ということはもちろんそうですが、山行終了直後のミーティングでの好評から反省会にかけて忌憚なく問題点を指摘できました。全体を通して時間に対する意識がルーズだったり、主体性がないという点に対して先輩や同期どうしでかなり激しめにフィードバックをすることで、焦りもうまれ、幹部代としての自覚がまさにこの山行をきっかけに芽生えたのを肌で感じました。
今、俯瞰してみると、スケジュール的にも体力的にも経済的にもかなりハードな予定だったと思います。それにもかかわらず、すべての山行にほぼ全員の3年が参加してくれていました。そのおかげで何とか部は体裁を立て直し、かつてのように山行が行えるようになりました。同期の努力と山行に臨む姿勢には本当に感謝していますし、とても頼りになりました。
そして山行を重ね、そのたびに反省点を出し合い、改善を重ね、我々は何とか夏合宿までたどり着くことができました。特に表銀座縦走組は部の精鋭を集めても実力的にギリギリ行けるか行けないか、というレベルだったと思います。しかし表銀座組は日々反省点を出し合って改善しながら山行を進め、特に「チームワーク」の点で力を発揮し、過去最高の山行にすることができました。最終日の反省会でも4年の先輩から話されましたが、「このチームならどの山にでも心配することなく行けると思う」、というレベルまでワンゲルとしてのチーム力が上がっており、天気にも恵まれず、タフで難易度の高い山行だったのにも関わらず、全員が満足感と達成感で一杯でした。もちろん反省点はありましたが、それを受け止めて修正する力とそこに真剣になってくれる(ようになった)メンバーには感動すら覚えました。
ゼロからリスタートしたワンゲルですが、ここまで来ることができました。今後もこの部は成長し続けるはずです。何卒応援いただけたらと思います。私も代交代後も協力していきたいと思います。
計画書の「はじめに」にも書きましたが、このリー養は三つの大きな目標をもって計画、実行しました。①リーダーとしての視点や考え方、知識を身につける、②人に頼る、頼られる、③山を全力で楽しむ。①②は例年と変わらないと思いますが、今年は③を特に重要視しました。我々は初心者集団ですので、今年度は特に計画書作成や活動中の規律に関して厳しく行ってきたと思います。計画者となれば特に楽しむ余裕は少なかったのではないかと思います。しかし、今まで個人的に登山を楽しんできた私としては、「仲間」を楽しむという点は部として登山をする大きなメリットだと感じましたが、「山」を楽しめているか、という点についてはまだまだ余地があると感じていました。そこで難易度の高いルートを普段よりも長い時間経験し、その分行程には余裕を持たせて山と向き合う時間をしっかり作ることにしました。
「山を楽しむ」が事故を防ぐ、と思う。夏合宿で槍の肩から槍を眺めていて、美しい、だけでは済まない場所にいるんだと再認識しました。休憩中や頂上に着いて、少しでいいから一人で黙って登ってきた道のりや行先を眺めてみると、凄いところに来たんだなというポジティブな感情や適度な恐怖心であったり畏怖の念を覚えます。仲間とワイワイするだけでなく、少しでいいから山と一対一の時間を作ることで、山を正しく怖れる(畏れる)きっかけになると思います。
《 報告 》 (常体で失礼します。)
1日目
【松本→上高地→徳沢園】
7時過ぎに松本を出たバスは10時半頃松本に到着。各自松本で最後の買い物や食事を済ませ、12時半頃松本を出発。新島々でバスに乗り換え、沢渡でバスを乗り継ぎ、14時頃問題なく上高地に到着。
上高地に着くと今山行最初のトラブルが発生。部員の一人がバスの中に財布を置いて忘れてしまった。私はバスなどではほぼ毎回最後に降りるようにしていて、忘れ物チェックをしていたが、今回は「ほぼ毎回」の「ほぼ」に該当しなかった数少ない回に当たってしまった。そもそも忘れ物チェックはリーダー一人が担うのではなく、後輩数人に指示してやらせるべきだった。山行が始まる前で皆気が緩んでいたのだと思う。反省。財布は見つかり、上高地に帰ってきてから無事受け取った。
上高地は相変わらず観光客と登山客が混ざり合う。浮かれている場合ではないので河童橋から見える梓川と穂高の景色には目もくれず進む。
何事もなく徳沢に到着。テン場は250張とどんなに混んでいても埋まることはないほど広いが、かなり混んでいた。100張ほどはあっただろう。やや地面が湿っていたので、しっかりと芝が生えていて、周りに人が少ない場所に幕営。水場からは離れた場所だったが、トイレには近い場所だったので場所は悪くなかっただろう。
一日目の夕飯は各自豪華な食事を揃えた。生ものや重い食材は一日目しか食べられない。餃子を焼く猛者(副将磯貝)もいた。彼は自分が餃子を食べて満足するというより、周りの人に分けてあげて、感謝されるということがなによりおいしいようだ。こちらとしてもお金も手間もかけずにおいしい餃子が山で食べれるわけだから、お互い都合がいい。WinWinの関係。そんなことはさておき、さすがはリー養参加者。ガスの扱いや夕飯作りの段取りは全く問題なかった。
徳沢ロッジで風呂に入れるということだったので同期男子4人で風呂に入った。まだ上高地から徳沢まで歩いただけなので疲労は全くなかったが、山でふろに入れるというだけでこんなにも気持ちがいいものなのか。私はこれから4日間風呂に入れなくなることを考えたらたまらなくなり、5回シャンプーをした。上がって髪を乾かしたら、頭の油分が完全に洗い流されてしまったようで、痒くて仕方がなかった。
2日目
【徳沢→横尾→涸沢ヒュッテ→ザイテングラート→穂高岳山荘】
全員無事起床し、徳沢出発。左には雲にかかった前穂高岳を見ながら進む。何事もなく横尾到着。ここからが登山スタート。しばらくは左に屏風岩を見ながら川沿いを進む。だんだんと日差しが強くなってきて、サングラスを付けた。ここでサングラスを持ってこなかった2年男子はさっそく後悔した。夏合宿は終始曇りや雨だったのでサングラスの必要性に気が付けなかったようだ。ただ、他の7人はみなサングラスを持参していたことには関心した。サングラス持参率は過去の山行で最高だったはず。ないよりは絶対にあった方がいいアイテムなので、今後もしっかりアナウンスしてゆきたい。
屏風岩を回り込むようにして谷間を進むと徐々に穂高が見え始める。北穂頂上が一瞬右手に見えた後、まずは釣り尾根が見え、涸沢カールが見えてきた。最後に急な登りを超え、涸沢ヒュッテに到着。
ここから先は今山行最初の難所、ザイテングラート。それに備え、ヒュッテでしっかり栄養補給をした。ヘルメットを装着し、いざザイテンへ。フル装備でのザイテンはなかなかハード。ここまでの岩場の急登の長丁場は部員は初めての経験だったが、夏合宿での経験を活かし、しっかり注意するポイントは声を掛け合い、励ましあって登った。途中部員が浮石を踏んで転倒してしまう場面があった。ヘルメットの重要性がそこでよくわかった。
この山域ではヘルメットをしていない(ノーヘル)の登山客には一人も会わなかった。今や危険な岩稜帯を通る山ではヘルメットは必携グッズであり、マナーでもある。ヘルメットをしていない人は、どうしても山のリテラシーが欠如している人というように見られてしまうし、自分たちもそのように見てしまうだろう。「この人は落石を起こすかもしれない」と思ってどうしても警戒してしまう。ついこの前までこの部はヘルメットなしでこの山域に来ていたと考えると恐ろしい。情報収集や安全管理が杜撰だったといわざるを得ない。個人ではなく部として学校の名前を背負っての活動でもあるため、ノーヘルで穂高に来たら学校の名すら傷つきかねない。先輩から教わることだけを頼りにしそれだけを代々受け継いで、外からの情報がほとんど入らない風通しの悪い組織になっていたようだ。この点については私が責任をもってしっかり改善してゆきたい。
やっと穂高岳山荘に着き、ヘリポート横に幕営した。ここは見晴らしがよく、前穂、奥穂、ジャンダルムがすべて見える。風もなかったため絶好のテン泊日和だった。夕飯まで時間があり、ゆっくり各々の時間を過ごした。リーダー養成ということで、2年生が炊飯などをすべてやってくれた。めちゃめちゃ楽!!!夜も風がなく、満天の星空の下、しっかり眠ることができた。
3日目
【穂高岳山荘→奥穂高岳→涸沢岳→涸沢ヒュッテ】
この日は朝からガスっていた。雲の切れ間を見て出発したつもりだったが、結局晴れはしなかった。奥穂アタックは最初が一番怖い場所だ。声を掛け合い、ペースも前日の反省を生かして先頭がしっかりコントロールできていた。難所を確実に通過し、岩稜帯を進む。ぬるっと登頂した。おそらく晴れていたらかなりの高度感だっただろうが、曇っていたので山頂の塔のようになっている場所にも軽々登って立つことができた。晴れ間を狙って予定を伸ばして頂上に滞在した。岐阜方面は何度か雲が切れて、焼岳や上高地、ジャンダルム、笠ヶ岳は見ることができた。一瞬とはいえ日本3位の頂からの景色は感動的だった。特にジャンダルムは凄かった。凄まじさを感じた。
山頂ではテンションが上がって緩んだ空気になるが、下山開始となるとしっかり空気を切り替えて下山を始めることができた。夏合宿の時からしつこく言ってきてきたが、もう僕が言わなくても各々がしっかりと気持ちを切り替えてやってくれる。毎日就寝前に行っているリーダーズサミットで、その日の振り返りと反省、それに対するフィードバックを行っているが、それが功を奏しているようだ。全員に当事者意識がはっきりと根付いている。合宿が終わって一ヵ月が経とうとしている今思い返しても素晴らしいチームだったと思う。その後の難所も確実に下り、我々は無事穂高岳山荘に帰ってきた。
テントを収納した。さすがこのメンバー。テントの収納には5分もかからない。しかし荷造りに時間がかかりやや集合時間に遅れてしまった。この点は個々が荷造りしやすいパッキングになっているかを詰めることで改善できそう。
ザイテングラートを下り、涸沢ヒュッテに帰る。難所の下りは登りよりも高度感をもろに感じるため、恐怖心は倍増する。より一層緊張感を持って臨んだ。ただ、上でも述べたように、パーティーのメンバーは後輩であっても頼れる存在に成長していた。そのため日に日に、楽しみつつも緊張感を持ってやれる、適度な緊張感、緊張と緩和のメリハリのある空気が出来上がっていった。人は最大の集中力を持って何かに取り組めるのは最長で15分と言われているが、同じようにずっと緊張感を持って集中して登山はできない。普段は楽しく、難所ではしっかりパーティーの雰囲気を切り替えるようにリーダーないしはサブリーダーが声をかける、というような緊張と緩和の切り替えが大切になる。しかし”場の空気”を切り替えるのは容易ではないし、その能力は誰しもが持っているものではない。この合宿で、全員にその能力を身につけてもらいたかった。きっと、ワンゲルから出てもその能力は生きるはず、強みになるはず。思い出だけではなく、ワンゲルにいたことが今後の人生の糧になったら、と思う。
この日のリーダーズサミットは激しかった。先頭のペース作りと役割について多くの指摘があった。あーした方がいい、あれができてない、もっとあれはしっかりやらないと、、、。2年、特に2年男子はかなり落ち込んだみたいだったらしい。ただすごいのが、次の日からの“改善力”だった。
4日目
【涸沢ヒュッテ→北穂高岳→涸沢ヒュッテ】
起きて朝食を済ませテントを出ると、今までで一番の青空が広がっていた。
涸沢ヒュッテには遭難対策協会の小屋があり、小屋の前に今シーズンの遭難状況を示す掲示板がある。7/25~8/25遭難―名、死亡―名、無事救出―名、、、。なかなか残酷な情報が並んでいる。部員もその掲示板を前に思わず足を止める。本日通る北穂南稜は滑落・落石などの遭難事故の多発エリアだ。僕らがここに来るわずか2週間前にも高齢の女性が北穂南陵で事故に遭い亡くなっていた。それも相まって特にこの日は朝からメンバー間で緊張感が張り詰めていたように思う。
この日は涸沢ヒュッテに荷物をデポして北穂高岳にアタックする。身軽で行けることで体力的にも精神的にもザイテンの日よりは安心感を持てた。
涸沢小屋に着くなり分岐にぶつかり、右方向の北穂側へ進む。分岐を過ぎるなり急登が始まる。このルートは高度の上げ方が半端じゃない。真上に道が重なり続けているような感じで、30分も登れば涸沢ヒュッテが真下に見えるような位置まで来てしまう。道は岩場とガレ場の連続で集中力を要する。常に先頭が注意を促しながら進む。特に落石には注意した。
ガレ場は滑りやすいし落石を起こしやすい。そのためガレ場では先頭が毎度滑らないよう、落石をおこさないように注意喚起をするようにしている。その際は、「小股で歩こう」というような指示を出していた。しかし、ここを歩いている時に気がついたのが、「小股で」というのは割りと抽象的で、人によって歩幅は違うし、小股大股の感覚も人それぞれの感覚に寄ってしまう。そのため、「小股で」と指示を出してもなかなか直らなかったり、時間が経つと戻ってしまって何度も同じ注意をするということが、この山行でもこれまでの山行でもよくあった。
ガレ場が来たとき、ふと「歩幅5cmで行こうね~」と指示を出してみて、今までよりも意図がしっかり伝わっていて、今までよりも指示の効果が強く出ている気がした。
山での指示は具体的に!
当たり前のことだが出来ていなかったことに気が付けた。
前日のリーダーズサミットでこの日の目標を立てた。それは「ペースをコントロールする」こと。基本的に我々は登りでは巻くことが多く、下りでは押すことが多い。ただ、それは狙ってそのペースで登っているのではなく、なんとなくパーティーのみんながついていけるペースで歩いて、結果的にその時間に着いた、というだけ。しかし重要なのは、ペースをコントロールできていること。速く登れることは悪いことではないが、その分一歩一歩にかける集中力は落ち雑になるし、体重移動がより急になるため転倒のリスクは増えるし、急な高度の変化により高山病のリスクも高まる。荷物をデポすれば間違いなくペースは速くなるだろうから、ペースが速くなりすぎればこのようなリスクはどんどん高まる。不要なほどペースを上げすぎず、メンバーや装備に応じて意図的にペースを落としたり上げたりできて、これぐらいのペースで行けば~時くらいに着く、という感覚が必要だ。
我々は無理のある行程は計画しないため、そもそも巻くことが必要になる場面はほとんどない。であれば巻くメリットというのはほとんどない。それにそもそも上手な登り方は、狭い歩幅で息がギリギリ上がらないゆっくりしたペースをキープし続け、止まらず進み続ける、という登り方。コントロール力は大切だ。
登りながらパーティーの最適なペースを見つけ、そのペースなら何時何分頃に目的地に到着するだろう、とターゲットを定め、それに向けて以降ペースをコントロールするということを意識した。この日は2年を積極的に隊の先頭や一番後ろに配置し、上記のことを実行してもらった。前日はなかなかペースをつかめなくて早すぎたり、声掛けができなかったが、この日からの彼ら彼女らは前日とは見違えるほど成長していた。常に隊全体を見渡してペースをコントロールして、注意するポイントは逐一アナウンスしてくれた。休憩のタイミングもストレスがなく、到着時間も狙い通りだった。きっと前日の夜からいろんなことを考えて行動してくれたのだと思う。特に次期主将の変わり様にはビビった。この日を境に、もうリーダーとしてパーティーを任せられるかもしれない、という安心感からか、「代交代」を意識し始めることができた。さみしいような、うれしいような、よくわからない感情だった。
北穂山頂からは360度雲一つない北アルプスを望めた。間違いなく過去一の壮大な景色。前日の奥穂はガスってしまったし、夏ガの槍もガスガスだったし、常念もガスっていたので、これが初めての北アルプスでの晴天アタックとなった。こんなにすごい場所にいたのか!とここで初めて自分たちがいる場所、自分たちが登った山を初めて壮観できたことで自覚したようだった。言葉にできない感動と達成感に包まれていた。
北穂高小屋で全員で昼ご飯を食べた。僕の代より、小屋での買い食い禁止?というよくわからないルールを廃止した。コロナ禍で経営が厳しい山小屋のために、我々がお金を落とさないでどうする!ただでさえテント泊で安泊まりさせてもらっているのに、その上小屋での買い物禁止とは何事か。揃えるべき装備は必ず自分で持参したうえで、ゴミを適切に処理する、節度を守るという条件の下購買を許可した。
北穂の料理は北アルプスの小屋で一番うまいと言われるほど。ここでみんなで食事を囲みたかった。。。少人数だからこそできた。素晴らしい時間だった。
本来の下山の時間より大幅に頂上での時間を延ばして、本来40分だったところを結局3時間半ほど頂上にいた。これほど天気が良くて風もなくて人も少なくて、少人数での山行は後にも先にもないかもしれない。計画書通りに下りるのはもったいない!計画書なんて関係ない!今ここには全てがあるのだから!何もないけど全てがここにはある!山と空と仲間。いいさ計画書なんて!大変更だ!決まった型から外れるってどうしてこんなにわくわくするのでしょう。
コーヒーを飲んだり、頂上で寝転んだり、ただ景色を見ながら座ってたそがれたり、音楽を聴いたり、カメラに没頭したり、各々がここでしかできない最高な時間を過ごした。言葉では伝えられない山の楽しさを共有できたかな。
一日中日に当たっていたからか、涸沢に着いたらドッと疲れた。もう後は下るだけ。達成感も相当感じてはいたが、山頂からの景色はもう見れないと思うと寂しいどころか物足りなささえ感じていた。これがクライマーズハイなのか。洗いすぎてパッサパサになっていた髪の毛もこの日にはかなりオイリーになっていたがそんなことより下るのがさみしくなるほど。穂高最後の夜。おやすみなさい。
最終日 5日目
【涸沢ヒュッテ→横尾→上高地】
最終日、快晴。今までの合宿では一番長い合宿だったが、初めてもう終わっちゃうのか、、、という感覚だった。テントの設営収納はもうみなお手の物である。5分もかからず、もう何も言わなくても各々が手分けして素早くテントをたたんでいく。もうこの日には出発までの時間管理も後輩が主体的に行っていた。もう任せられるかな。けしからんことにこの日出発が5分遅れたのは先輩の準備が間に合わなかったからだ。全くけしからんですね。
疲れもあったが達成感に溢れた雰囲気で、何事もなく横尾に到着。ここまでは完全にリーダー、サブリーダーの仕事を後輩に任せて進んでいたが、ペースも声掛けも、すれ違う際のタイミングも問題なくやり遂げた。
今回の山行では難所は先輩のリーダーを立てたが、それ以外では積極的に後輩にその役割を任せた。その立場に立ってみないと分からないこと、先輩もいざ自分の立場を後輩に任せて客観的に見てみると気づきや指摘は多くあったようで、毎日の反省会で全員からかなり多くの、濃い内容の反省とそのフィードバックが出た。引退が近い我々でさえもこの短期間でかなり成長できたと実感している。後輩たちにこの経験を2年のうちにさせてあげられてよかったと思う。リーダーとしての立ち回りや技術、体力、そして山の素晴らしさと楽しさを伝えられた、というか気づかせてあげられたのではないかと思う。この合宿が来年以降のより良いワンゲルをつくるためのきっかけになってほしい。
それと同時にやはり、コロナさえなければ、我々はもっともっとこの仲間たちとたくさん山行ができて、一緒に楽しい経験もつらい経験も乗り越えて絆を深めて、さらにレベルの高い山行もして、、、初めての穂高が最後の穂高になるのかな、、、同期みんなで来たかったな、、、とやり切れない思いも湧いてくる。山を、仲間との山を知ったそばから引退というのはなかなか辛いものだ。一方で、我々の代は今までにないほど全員が部活を、山行を全力で楽しみ通した代なのではないかとも思う。コロナで身動きがほとんどとれなかった2年間、モチベーションもなかった、あっても保てなかった、同期とも全然会えない、他の部は活動しているのになんでうちは何にもできないんだと悶々としてもいた、辞めた部員も何人もいた、今でこそ同期に不可欠な存在の人でも辞めるか迷っている時期があった人もいた。そんな中で、来年こそは山に行けるんだと待ちに待って、今年度を我々は迎えた。きっとどの代よりも夏山シーズンが来ることを楽しみにしていて、仲間と山に行くことへの憧れと期待をもっていたのだと思う。全員が山行を成功させようと積極的に動いた。山では分からないことが多い中でもなんとか術を吸収した。終わってみたら本当に一瞬で過ぎた夏だったと思う。あれ、これって青春ってやつですか。青春ってやつですよねえ?!
横尾から上高地は学年ごとに分かれて隊を組んだ。今までのこと、これからのことを同期で話しながら帰った。
そして、上高地に到着!!!
行きと同じように登山客と観光客が入り混じる。割合でいうと3:7くらいだろうか。登山客は少数派だ。ザックをおろすと分かりにくくなってしまうが、足元が薄汚れて髪の毛がオイリーでやや香ばしい香りが漂うのが登山客だ。しかし、われわれはそれをちっとも惨めとも恥ずかしいとも思わない。胸を張って薄汚れた格好で上高地を闊歩する。ここから見える穂高は、同じものを見ていても、我々と観光客では見え方が全く違うのだ。バスに揺られていれば見える穂高と、5日間風呂にも入らず野宿をして命を危険に晒しながらやっとの思いで登頂し、降りてきて見る穂高。ぜひ我々に憧れと尊敬の眼差しを向けてほしい。ここでは景色も、食べ物も、ビールも、温泉も、あなた方の10倍おいしくなるのだ。いいか、同じものを見ているようでも全く味わいが違うのだ。山やその景色は前後の文脈とその時の感情がとても大事なのである。フリ(ストーリー)が大事。
そして、今年度の山域選択にも同じ狙いが込められている。できるだけ前後の山行で近い山域を選ぶ。次はあそこに登るのか、、前はあそこに登ったのか。遠くにうっすら見えるあそこが北アルプスか。これが北アルプスか!あれが槍ヶ岳か!ここは前回の山の槍ヶ岳を挟んだ向かい側なのか、、ついに来月は槍ヶ岳か、、、。夏合宿の槍までにどれだけストーリーを作れるか、これがこの短期間で槍に対する憧れやモチベーションを作るために必要だった。山域選びはストーリー作りだ。その代の幹部のエンターテインメント能力とプロモーション能力が問われる。今後の山域選びには期待したい。
以上5日間のリーダー養成合宿はその目的をしっかり果たせるものとなりました。毎日の反省会でも、山行後の反省会でも、過去の反省会ではありえなかったほど充実した内容になったのは、この合宿やこの合宿の準備を経て、まさに一人一人の部に対する責任感や当事者意識が高まったからでしょう。ここで学んだことを来年度以降にしっかり生かしてくれることを願いまして、2022年度リーダー養成合宿の報告と致します。
最高の5日間でした。
また、このメンバーで山に来たいな。
みんなありがとう。